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おいでやす。郡山ハルジ ウェブサイト。

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かつてワタシは「自分には一切ヒミツなどない」と公言していたことがあり、皆に「何でも聞いてくれ」と言ってどんなプライベートな質問を受けても正直に答えていた。良識のある連中はそう言われてもあえて何も訊かないが、なかには挑戦的に「これは言えないだろおー?」といった質問を次々と浴びせてくる者もいたけれど、ワタシに「言えないこと」はなかった。さすがに社会人になってからは“社会的”なしがらみもできそうもいかなくなってしまったが、なにせもともと人前で全裸になれるメンタリティの持ち主である。社会的なしがらみの乏しかった当時はほんとうに何でも言えたのだ。大学3年生の時にオネショをした時、ワタシは講義に出るなり「今朝のショックな出来事」を学友たちに話し、それがまるで朝食に何を食べたかを話すようなノンシャランさで話したためか、誰も信じてくれなかったことがあった。大学4年のとき、大学の美術サークルで出していたミニコミの「先輩自己紹介」コーナーの「女性経験」の欄には「童貞、キスの経験さえなし」と堂々と書いていたため、ワタシを知る友人以外はみな冗談だと思っていたらしい。なぜ今日ヒミツについて書いているかというと、まあ、連日の日記で小出しにしているように仕事で人に相談できない問題がいろいろあり、楽天日記で公表するような性質のものでもないしそんな気もさらさらないのだが、どうも日記を書き始めると自分ひとりで抱えているそういった諸々の鬱屈が出口を求めて漏れ出てきそうになるのを抑えながら書いていると、先日の日記にも書いたように話がぜんぜん面白くないだけでなく、書いていてまことに精神状態に良くないのである。22歳のオネショを自分で言いふらしていたような人間にとってはその抑圧のストレスはなおさらである。だから、いちどためしに精神を開放するつもりで日ごろ人に言わないようにしているようなことを書いてみようと思うのである。…とはいえ、ワタシの日記は鬼畜を自称しているだけに、過去の悪事から整理時の成功から夢精や痔に至るまで「ふつうの人が公言しないこと」を通常から書いているところがあり、考えてみると、書いて「開放」されるような大それたネタはあまりないことに気づく(笑)。まあ、大それたネタではないが、今日したことで、日ごろ“社会的なしがらみ”から他人に公言しないようなことを考えてみると、…そう、ワタシは昨晩自分の尿を飲んだ。残業から帰宅し夜10時過ぎに8キロくらいジョギングして帰ってきてから汗ばんだウェアを脱ぎ、半裸でpcのモニタに向かって楽天日記を書こうとしていたら急激な尿意を催した。その尿意は自分でも驚くくらい急激だったが、なぜかその時はトイレに立つのが鬱陶しく感じた。…すると、さきほど飲み干した空のマグカップがふと目に入った。ワタシは一瞬ためらったが、「たまには意識的にバカなことをしよう」と思ってパンツの中から左手で印径をつかみ出すと、右手に持ったマグカップに向け意を決して放尿を開始した。容量約400cc.のマグカップはみるみると満たされ、お、これはもしや最後まで出し切れるか…と思いかけたもののあとちょっとのところでフルになってしまったためにワタシは尿を一旦停止し、またしても一瞬ためらった後、「…たまにはバカなことをしなければ…」と再び自分に言い聞かせ、溢れんばかりの尿に満たされたマグカップを口へと運びゴクリと飲んだのであった。そして、カップに“空き”を作ったあと、再び下に下ろし残りの尿をそこに排出した。…しかし、意外であった。一瞬ためらったものの、飲んでみたらまるで「水」なのである。実はワタシは学生の頃、当時流行った“飲尿療法”というのを実践していたことがあり、2~3週間にわたって毎日小便を飲んでいたことがあったのだが、その時飲んだ尿はまるで「生ぬるくて臭い海水」といった印象だった。一瞬話がそれるが、飲尿“療法”とはいっても当時のワタシはとくに持病があったわけではなく、強いて言えばタバコの吸い過ぎや不摂生な生活のせいでいつもフラフラしていて不健康な状態ではあった。単にメディアで「飲尿を始めてからハゲ頭に毛が生えてきた!」とか「荒れた肌がツルツルに!」とか中には「ガンが治った!」という話までが喧伝されていて、自分もためしに飲んでみようか…と思ってある日意を決してちょっとヘンタイな罪悪感を感じながらキッチンでチんポを出してコップの中にジョローっと放尿し、右手に握った黄金色の液体に満たされたコップを目の前にやはり一瞬ためらった後、心を空にして、ゴクンと飲んでみたのである。ほんとうは、飲尿療法というのは100cc.やそこらでよいらしいのだが、その時はそれを知らずにコップを飲み干したものだ。そしたら、しばらくするとまるで体の芯が燃えるように熱くなり、ニンニクや唐辛子を食した時のような感じになった。その日はなんとなくハイパーな感じで過ごしたかも知れない。来る日も来る日もワタシは(最も効果があるとされる)“朝いちばん絞り”の尿をコップに注いでは飲み干した。…すると、1週間目あたりから、タバコと不摂生のために荒れた肌が、たしかにツルツルし始めた(笑)。ワタシはその年の秋、自分が所属していた美術サークルが学園祭に何を出店するかを話し合っていた際、半分本気で「おしっこ健康法」の模擬店を提案した。部員1人ひとりが自分の尿を密封容器に入れて持参し、容器には自分の名前と、その採取時の健康状態などの参考情報を書いたラベルを貼る。それらを、ラベルの情報に基づいて「聖水」とか「松」「竹」「梅」とか「ドライ」とか「激辛」とか「低血糖」とか「弱炭酸」などに分類・ネーミングして店頭に並べ、お客様のお好みの尿をその場で小型の紙コップに注いで、お茶から中級ワイン程度の価格帯で販売するのである。「○○ちゃんのオシッコなんて、1杯1000円くらいはイケるんチャウかー」「…でも、中にはムサいミ○タの野郎の小便とか入れて出したりして…(笑)」「…で、お客はそれを『う~ん、さすが○○ちゃんの聖水は最高ダ~』とか言って飲んでんのな(笑)」…なんてバカなことを話して盛り上がっていたものだ。…話が長々とそれたが、とにかく、当時飲んだ小便の記憶は苦くて辛かったのである。それが、あれから20年近くを経た今飲んだヤツは、大阪の水道水より美味いのではないかと思うくらいに無味無臭でフツウに飲めるのである。これは一体どういうことか。当時のワタシは男性としての“盛り”であって、男性ホルモンの分泌が豊富だったとか、タバコやコンビニ弁当だの体に良くないものを大量に摂取していて、運動をまったくしていなかったから体内に毒が溜まっていたとか、要するに尿の中に「いろんなもの」が含まれていたことは容易に想像できる。一方で、40歳にならんとする今、男性ホルモンは枯渇しつつあり、コンビニ弁当が存在しない国に住み、酒もタバコもやらずにマラソンを趣味にして日々汗を流している。つまり、排泄すべき「いろんなもの」が体内に存在しないのではないか(笑)。…しかし実際、尿というのは主に血液を腎臓で濾過して不要になった水分であり、血液と小便の濃さは比例するといわれているから、薄い小便が大量に出るのは血液が薄いときであるとすれば、ワタシの体はいま血液が非常に薄くなっているのかも知れない。たしかに最近立ちくらみとかしてたところに8キロも走って帰宅した直後の小便なのだから「水状態」というのも納得できないこともない。…さいきん鬱屈していた精神を開放するために日ごろ人に言わないようなことをと思ってたまたま思いついた飲尿について書いたが、このような話をこうしてズラズラ・延々々々と書けるのはやっぱりよほど本心が抑圧されていたのか、それとも単にワタシはこういう人が避けるようなテーマが好きなだけなのか(笑)。


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